ブーマーウォーク 1.

イントロダクション

 

  私はベビーブーマー世代であり、この本を読んでいるあなたもきっとそうであろう。1946~1964年生まれは人口分布上のキングコングだ。われわれは人生の階段を駆け上がるごとに圧倒し、文化を作ってきた。

 

 若さと健康への強迫観念から、わたしたちは強健な体のまま引退し、その後も活発なライフスタイルを維持しようとしてきた。それが私であり、あなたもその仲間なのだ(あなたが運動不足であってもがっかりしないで!この本はあなたにも役立つはず)。

 

 かなしいことに数十年のあいだ走り、ジャンプし、ひねり、向きを変えたことがからだに負担を与え、わたしはひざを痛めてしまった。50代の初めにはバスケができなくなった。2,3日ジョギングするとひざが痛んだ。テニスの側方向への動きは問題外だった。

 

 私は失ったものにうちのめされた。あれほど好きだった持久系の運動ができず、競技の興奮も味わえなくなったのだ。ところが、3つの出来事がつながって、スポーツができなくなった喪失感を埋める方法が見つかった。

 

・歩くだけなら、いくらでも歩けることがわかった

 

「年とともに若く」(Younger Next Year)を読み、週に6日は心臓をしっかり働かせることを学んだ

 

・イリノイ・シニア・オリンピックで競歩を観戦した

 

 その時点で地元のスポーツクラブで週に何回かトレッドミルでの練習を積んでいたので、州のシニアオリンピックなら参加できると踏んだ。翌年には参加手続きをした。特に調べもせず教えを受けることなく、わたしは試合に挑むことになり、いつも通りの快速歩行さえできれば十分と考えたわけだ。どこかで聞きかじったのは、競歩の場合必ずどっちかの足が地面についていなければならないということだけであった。足が離れればランニングになるということだ。

 

 十数人の選手がスタート地点にそろい、赤白青のオフィシャルウェアの女性がやってきて指示をくれた。「競歩のルールはふたつです。」話が始まった。

 

 おやまあ!学生時代、必須単位の講座を一年間とり忘れた夢を見てうなされたときのように、腹にぐっと締め付けられる感じがした。

 

 二番目のルールというのは かかとが地面に触れた瞬間からひざはまっすぐで、からだの下に足が来るまではずっとまっすぐのままでなければいけないというものだった。聞いた時には妙な話だと思ったが、今読んでいるあなたもおそらくそうだろう。さらにトラックのあちこちに審判がいてルール違反をチェックして、3人の審判がレッドカードをだしたら失格になることも教えられた。

 

 どうやら場違いな場所に入り込んだようでトラックから出たほうがいいか考えているうちに号砲が鳴った。二人の選手が軽快に飛び出して、走らないかぎりとても追いつけないことがわかった。見物したかったがわたしも選手の一人だと自覚した。後方にも人がいて、抜かれないようにするしかなかった。一歩一歩できるだけ膝をまっすぐにするよう努力したが、100メートル先の第一カーブにさしかかったとき審判がイエローカードを出して「ベントニー!」と呼びかけた。

 

 ガーン。せいいっぱいひざをまっすぐにしたはずなのだ。レース中さらに1,2回イエローカードをくらった。テレビで見た競歩選手の動きをまねをするよう努力した。1500メートルのレースのうち400メートルくらいしかまねできないことがわかったので、最後のワンラップだけ可能な限り競歩選手のまねをして歩いた。

 

 全体の3位でタイムは10秒18だった。その時は全く知らなかったが、飛び出したふたり、ミズーリのデイヴィッド・クーツとアイオワのロバート・シャイアズ博士は全国屈指の競歩選手であった。2分以上のタイム差をつけられて、ふたりはわたしに競歩もまた優れた選手たちが競い合う立派なスポーツだと教えてくれたのだ。

 

 レースが終わって一枚もレッドカードをもらわなかったことがわかった。最初に説明をした審判が、最後のラップと同じように全レースを歩くべきだと教えてくれた。しかしそんなことは肉体的に不可能だというしかなかった。このセントルイス在住のUSATF審判ジンジャー・マラナとは以来友人であり、わたしが競歩の指導をする手助けをしてくれるようになった。

 

 競歩についてもっと学ばなければならないことがわかったので、家に帰るとさっそくネットで得た情報をもとに練習を開始した。翌年再びシニアオリンピックに参加し、ケンタッキーで行われる全国大会の参加資格を得ることができた。

 

 全国大会で恥はかきたくなかった。地元の大会でこそ失格はなかったが、はたして全国レベルで通用するのか? 出てくる選手はみんなクーツやシャイアズみたいなやつらなのか?

 

 もう一度サルベージの本とDVDを見ることにした。精緻な競歩のテクニックがあますところなく述べられている。何をやればいいかわかった。できるかどうかは自分しだいだ。とくにほかの選手の動作を単純にまねしてはいけない、一人一人のからだには個性があるという言葉が胸に刺さった。良いテクニックを使うこと、ただしからだの特性と強さに合わせて使うのだ。

 

 デイブ・マクガバンのクリニックがインディアナポリスで開かれていることを知り、参加することにした。トラックでの実習と講義があって、書き留めたノートを見るたびに新しい啓示が見つかった。だが一番刺激を受けたのがある参加者の信じられないほどなめらかな体の動きだった。飛んでいるように見えるのに、足はまるで自転車のペダルを踏むようになめらかな動きをしていた。

 

図1-1 マックス・ウォーカー フルストライドでの正しいフォーム

 

 

 ひたすら練習をつづけた。そして2007年の全国大会の日となった。自分が上位3位以内に入れないことはわかっていたが、何とか8位まで入ってリボンをせしめたいと思った。おどろいたことに1500メートルと5キロのそれぞれで各年代別で5位に入ることができた。1500は9秒11、最初のレースから1分も速くなっていた。5キロは32分37、大したタイムではないのだがまだまだ人気の少ないスポーツをする恩恵で、やはりリボンを獲得することができた。2年前に私を驚かしたクーツとシャイアズはそれぞれ50〜54歳、55〜59歳の各年代別で優勝した。

 

 わたしたちの世代はフィットネスを文化の主流に育て上げた。ジョギングの人気が爆発した頃を思い出して欲しい。はじめは変に思えたものだ。だが今では誰もジョギングをしていておかしいとは思わない。たしかに競歩がちょっと奇妙に見えるのは否定できない。しかしベビーブーマーが大挙して競歩に取り組み始めたとしたら、あっという間に変には見えなくなるだろう。そしてどんどん健康になって、うん十年後にも競技を続けているだろう。

 

 たぶんあなたはランニング狂の一人で、舗装路で何年も弾み続けたためにカラダのあちこちにガタがきているはずだ。他のスポーツに切り替えた方もいるだろうが、それだっていずれは辞めざるを得なくなるかもしれない。あるいはいままでまったく運動をしたことはなく、からだを健康にして体重を落としたいと考えているかもしれない。こういったすべての人に競歩は福音となるのだ。

 

 ひとつ男性の読者に言っておきたいことがある。ボニー・スタインは過去20年にわたり数千人に競歩の指導を続けてきたが、競歩の効果を説明すればほとんどの女性は素直に納得してくれるそうだ。ところが男性の場合、現実にからだに故障をかかえていてもなかなか競歩をはじめようとしないそうである。

 

 ということで私の出番が回ってきたわけだ。競歩みたいな奇妙なスポーツなどやれるかと思っているあなた、わたしはスポーツ一家に育ち、6歳の時には棒高跳びをやっていたのだ。3年生で中学校の陸上部から推薦状をもらい、50年間いろんなスポーツに取り組んできた。高校時代の400メートル走ほど苦しい競技はなく、いまでも一番辛い経験だった。だが、競歩は、過去の経験に照らして見ても、技術的にも持久力の面からも挑戦しがいのあるスポーツと言える。だから偏見を持たず、この素晴らしいスポーツに挑戦して欲しいのだ。(続く)