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だいじょうぶ、またもどる

 

(アーカイブ;2005年4月号より)

 

 『筋肉はこれほどかんたんに退化してしまうものかと驚いたけれど、裏をかえせば、また作り直せるということでもある。富士急に入社したときの気持ちにもどればいいことですから。』朝日新聞より

 

 スケートの岡崎朋美選手のことばです。岡崎選手は2000年の世界選手権の当日、腰の激痛に耐えながら出走し、4位となりました、ところがそのまま病院に直行し、手術を受けることになったのです。手術から3ヵ月後、練習を始めたとき、岡崎選手は自分のからだがまったく動かないことに気づきました。はじめのことばはそのときのものです。それから5年後、誰よりも多く練習した岡崎はふたたびリングに上がります。残念ながら優勝は逃がしたものの、すばらしい復活劇を見せてくれたのです。

 

 その患者さんは、五十代の女性でした。原因不明の間質性肺炎という病気で入院していました。病気の進行はふせげたものの、長期間の入院は体力をうばい、まったくの寝たきりになりました。自分の力でベッドにおきあがることもできず、人に起こしてもらっても力がないのでそのまま倒れこんでしまいます。

 

 内科の先生は「病気そのものはおちついたのだから、自宅に戻っていい」といったらしいのですが、その人の家は集合住宅の5階(エレベーターなし)にありました。家族がお母さんの帰ってくるのをくびを長くして待っています。わたしがリハビリにかかわったのはこんなときでした。

 

 はじめは電動ベッドの頭がわをすこしづつ持ち上げて、からだを慣らすことからはじめました。少し慣れてきたころ、ベッドのまわりに鉄製のやぐらを組み立てて患者さんがつかまれるようにしました。立ち上がることができないので、車椅子に乗せてリハビリ室に連れて行き、軽い手足の運動から始めることにしました。

 

 患者さんも家に帰りたい一心で、一生けんめい練習しました。ひとりでベッドに起きあがり、車椅子に乗れるようになるまで3ヶ月はかかったでしょうか。家族のたっての希望で患者さんは自宅に戻ることになったのです。

 

 それから数ヵ月後のことです。ひさしぶりにリハビリ室で出会った患者さんは、一人で歩けるようになっていました。階段の上り下りも自分ひとりでできるし、買い物にもいけるようになったのです。

 

 病気のいかんにかかわらず、ヒトのからだは動かさなくなってしまうと、あっという間に退化します。それも、われわれの想像をはるかにこえるスピードで。

 

 ある胆石の患者さんがいました。手術後の経過も順調で3週間ほどで退院できたのですが、なぜか足がよろめいて満足に歩くことができず、すぐに息切れしてしまうとのことで、外来に来ました。歩けなくなるような病気は何もないこと、しかし体力・筋力がいちじるしく弱っているために今の状態になっていることを説明し、毎日少しづつでいいから歩くことをすすめました。一ヶ月もすると、なんの支障もなく自由に動き回れるようになり、患者さんは自信をとりもどしたのです。

 

 さて、お気づきと思いますが、わたしのクリニックでは、『歩け歩け』『からだを動かせ』という注文が多いはずです。それもうるさいくらいに。でも、それには理由があるのです。医者としてのわたしのキャリアは前半は手術中心、後半はリハビリ中心といった感じでした。そのなかで、いかにからだを動かすことがだいじなのかを身にしみて知っているのです。いや、知っているハズだった、というべきかな。

 

 知ってるはずだったのに、自分のからだのことはさっぱり忘れていたようです。ある日、ガタガタっと調子をくずしたことがありました。からだのあちこちの痛みやしびれ、息切れそのほか、あのころのことをおもうと今でもぞっとします。そこから自分を救ってくれたのも、やはり運動だったのです。

 

 みなさんの相談のかなりの部分は、わたしには実感としてわかります。その症状なら『よーくわかる!』こともめずらしくありません。この訴えはちょっと妙だなっと思う場合でも、それを話すときの患者さんの不安を考えるとなっとくできることも多いのです。

 

 でも、だからこそ、わたしは運動をすすめるのです。みんなに元気になってほしい。明るく楽しい毎日を送ってほしい。だから運動をすすめるのです。からだのあちこちの痛みやしびれも、原因をつきつめてみると運動不足が原因になっていることも多いんですよ。人間のからだは動いてなんぼです。動いてこそ人間、運動のなかにこそ人生がある、といっても過言ではありません。

 

 わたしたちには岡崎選手のような根性はないかもしれません。でも、一歩を踏み出すことは誰にでもできるはずです。自分の人生、自分のからだ、まず一歩を踏み出してみましょう。