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その(2) 転機

 私は60歳だった。40年かけた仕事の高みに達していたのに、すべてを投げ捨て新しい生活を始めたのだ。

 

 ピアノ再生に命を懸けていた。収入は1000万を超えていたが、マッサージ師だと200万やっとがせいぜいだとわかっていた。仕事そのものに満足するだけでなく、地域で尊敬されていたのに、新しい生活には不安しかなかった。おそらく前職のような成功は望めないはずだ。こんなバカげた決断をどうしてしたのだろうか?

 

 一言でいえば、痛みだ。痛みにとても苦しんでここまで来たのだから、この成果を分かち合いたい。痛みを取り除くすばらしい方法を発見した。私の人生を変えたように、みんなの人生も変えられるはずだ。

 

 これを読んでるあなたは、私と同じように痛みにとても苦しんでいる人だろう。だから私の経験を通して、救いようのない世界にも必ず希望があるのだということを伝えたい。

 

 ホロビッツのピアノが調律を学ぶ始まりだった。1960年のことで、スタインウェイピアノ工房の見習いになった。独立した後はニューヨーク中のピアノを修理して回った。有名人とも知り合いになり、バイクを乗り回し、ガールフレンドもできた。人生は最高!

 

 60年代末にケンタッキーに引っ越し、家を建て、家族を持ち、娘たちを育てた。仕事はまったく順調、幾多の工具を発明し、発表して同僚たちの信頼を勝ち取った。他では治せない問題でも彼ならやってくれると評判を呼んだ。

 

 一方、くび背中など体中が痛むようになっていた。しだいに痛みが強くなり、このままでは今の仕事が続けられなくなる不安を感じ始めた。

 

 肩の痛みが強くなってきたとき、本当の解決策は存在しないと思った。つまるところ、薬で痛みを抑えつつ我慢するだけなのだ。医師も他の誰もが助けてくれなかった。ただわかったふりをするだけなのだ。そして結果が出ようとなかろうとごっそりと料金を請求するのだ。こんな状態から抜け出すためには、自分でなんとかするしかない。そう思い始めた。

 

 そういうわけで苦労の末に私は自分の肩を治し、仕事をリタイアしてマッサージ学校を卒業し、ピアノを直す代わりに人間を治し始めたわけだ。私の人生で一番大切な仕事を見つけたのだ。(続く)3へ