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その(3)だれもこの痛みを理解していない

 皮肉なことに、人生の危機は仕事から来るものではなかった…関係はしているはずだが。ある日家の前を雪かきしているときに肩に痛みを感じ始めた。痛みは日を増すごとに強くなり、何をやっても痛むようになった。孫を抱けず、シートベルトをひっぱれず、ピアノの下に潜り込むこともできなかった。電気が走るような痛みで息も続けられなかった。夜痛みで目が覚め、肩をもんだり、風呂に浸かったりしたが役に立たなかった。

 

 以前あるマッサージ師にかかりぎっくり腰を治してもらったことがあったので、どうせだめだろうと思いつつ、かかってみることにした。ところが、彼女は治してくれた!

 

 とてもおどろいた。マッサージのことはよく知らず、肩の痛みは年のせいであり、じっと我慢していくしかないと思い始めていたのだ。ところが僅か3回の治療で肩から腕の痛みは消え去った。

 

 が、しばらくたってまた肩の痛みが戻ってきた。連絡すると彼女は引っ越ししていた。途方に暮れたが、誰かに治してもらうしかないと考え、あちこちに出かけたが、結果は無駄だった。どこでもストレッチと運動というばかりで、やってみると痛みはかえってひどくなった。あるとき、治療しているPT自身が肩の痛みで困っているのを見て思った。自分の肩を治せないのに、他人の肩を治せるわけはないと。

 

 じつはだれもほんとうに肩のことをわかっていないのではないか?私はそう思い始めていた。マッサージ師にもいく人かかかったが、結果は同じで肩をいじくりまわされただけに終わった。前の経験から、カイロのことは信用していなかった。おそらく医者にかかっても、クスリを出すだけで、へたをすると手術を勧められるのではとも思った。手術なんて願い下げだ!

 

 こういった悩みを抱えながら、ピアノ調律師の集会に出かけることになった。いろいろな革新的発明の話を聴くと元気になる。気晴らしが欲しかったのだが、一日中痛む腕を抱えたまますわっているのは非常につらい経験になった。ただただ痛みのことばかりを考える時間になってしまったのだ。

 

 最後の日、ホテルのベッドの上で、真夜中に腕をじっと抱えながら天井を見つめているうちに、涙が出てきた。いま必要なのはこの痛みを何とかすることだ。肩の痛みが取れるにはふつうは1年かかると聞いた。こんな状態がもっと続くのだろうか!

 

 そのとき奇跡の治療を施してくれたマッサージ師の机の上に2冊の大きな本があったことを思い出した。彼女がとても大事にしていた本だ。なにかあったらいつでもこの本を調べていると言っていたが、彼女だけがほんとうに結果を出してくれたのだ。どうやら、肩の痛みを治すのは自分でやるしかなさそうだと思った時、まずあの本から始めようと考えた。そこに希望が見つかるはずだ。