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検査でわかること、わからないこと

(アーカイブ;2005年2月号より)

 

 検査を受けるのはいやなものです。なにをされるのかわからなくてドキドキするし、もしかしたら痛いことをされるかもしれません。他人にオシッコヤウンチを見られるのも気分悪いです。でも、しょうがないから、病気がみつかるかもしれないから(みつかるのはこわいけど)検査を受けるしかないかと思うのです。

 

 でも、ほんとに検査ってなんでもわかるのでしょうか?江戸時代までのお医者さんは、ほとんど検査はしませんでした。というより、検査じたいがなかったのです。

 

 みなさんも知っている「赤ひげ」先生は小石川療養所のお医者さんでした。お話そのものは山本周五郎さんの作ったまったくのフィクションですが、お医者さんたちから見ても、とてもよく書かれた本です。

 

 赤ひげ先生は、患者さんの顔色を見たり、からだを触ったりして診断を下します。それ以上に、患者さんのしごとや暮らしぶり、困ったり悩んでいることはないかに気をくばっています。おくすりも出しますが、ほんとうは病気の背景にある貧困や家族関係の問題までふみこまないと病気を治せないことを知っています。でも、自分の力ではどうしようもないことがあることを知っているから、ときにはいらいらしたりします。

 

 赤ひげ先生のような人が本当にいたかどうかはわかりませんが、当時でもひょうばんのお医者さん、まわりの人から慕われるお医者さんはたくさんいたようです。お話を聞く、からだを調べる、ときには痰、尿や便を見る。医学知識は今の水準からすればまったくおくれている。それでも、正しい判断をして患者さんを救うことができる。もちろんまちがいも多いし、何の役にもたたない治療もあったでしょう。しかし、世界的に見ると、当時の日本の医学水準はじつはかなり高かった(アメリカやヨーロッパにくらべても)ようです。

 

 ひるがえって、今のお医者さんはどうでしょうか。むかしは思いつくこともなかったようなむずかしい病気が、今ではあることがわかってきました。特殊な検査をしない限り、ぜったい見つけられない病気があります。まだ症状の出てないうちに、病気をみつけて治療することができます。つぎからつぎへと新しい検査法が開発されて、その検査でしかわからなかったことがわかるようになります。そして、あたらしい治療法へとつながります。

 

 けれども、一方では見逃してはいけない病気を見逃してしまった、患者さんの大事な症状を見落としてしまったために残念な結果に終わったといったニュースも見られます。こんなに医学が進歩しているのに、どうしてこういったことがおきるのでしょうか。

 

 お医者さんたちの研究の中には、どうしたら正しい診断を、むだをなくして速やかに行うことができるかを調べたものがあります。その結果は、ちょっと驚くようなものでした。

 

 病気の8割は、特別な検査を行うことなしに、問診と診察だけで正しく診断できるというものでした。ほんとう?と思う人もいるかもしれません。けれども、診断学のぶあつい本を読んでみると、むかしから積み重ねられたお医者さんたちの知恵のすごさに圧倒されます。ちょっとした動作、身ぶり、顔色、声の様子、暮らしぶりの中にあらわれる気づきにくいサイン、生活環境やしごとから考えられる病気の可能性など、いいだしたらきりがありません。特別な検査法がなかったころでも、なんとか正しい診断をしようとした工夫です。

 

 「それでも、2割はまちがうんだから、検査したほうがいいんじゃない?」と思ったあなた。そのとおりかもしれませんが、少しだけ考えてみましょう。

 

 ちょっと熱があるくらいに思って病院にいったのに、いろんなレントゲンやら検査やらで時間もお金もたっぷりかかったといった経験をしたとき、これには2つの場合が考えられます。

 

 ひとつは、自分ではまったく気づいていなかった重要なサインに、お医者さんが気づいた場合(たとえば、あちこちのリンパ節がはれている、など)。からだの異常を詳しく調べるための検査を行うことになります。これはみんなが納得できるでしょう。

 

 もうひとつは、「はっきりしない症状だから、とりあえず検査でもやっておこう」という場合。ベテランのお医者さんだと、症状は軽そうだが何かがおかしいと感じることがあります、(若いときに肋膜をわずらっている、顔色が良くない、など)。検査の結果は異常が見つかることもあれば見つからないこともあります。心配性のお医者さんだと、すこしでも見落としのないようにということで、比較的たくさんの検査をしがちです。

 

 このへんのちがいはお医者さんの能力というより、性格や考え方のちがいに影響されそうです。経験の浅いお医者さんは、どちらかというと検査を多く出す傾向にありますが、これはその慎重さがいいほうにでることもあれば、過剰診療につながることもあるでしょう。

 

 いずれにせよ、診察の基本は『見て、聞いて、触れる』ことにつきます。これをおろそかにしてはいけません。患者さんをさわらないで診断をするなどはもってのほかといえるでしょう。

 

 「ウマのいななきを聞いたら、シマウマでなく馬を考えよ」、これはアメリカの金言です。あたりまえの病気をあたりまえと見抜く、ときにはむずかしい病気も見逃さない。そのためには、よく聞く耳、よく見る目、せんさいな感覚を持つ手が必要になるのです。