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むかしと今

 

歴史

 

 はじめに申し上げておきたいことは、マニュアルメディシンとは、決してある地域の、特定のプロフェッションに限定した治療体系のことではなくて、昔から世界各地でそれぞれに発展してきた「手を使って行なう」治療方法をもう一度現代的に見直して、その中から科学的な評価に耐えうる部分を再構築したものと考えてよいと思います。手技療法という言葉に比べると、医学の一部分であることと、診断と予防の概念を含み、手を使うことと同等あるいはそれ以上に生活指導や自己エクササイズに重きをおく点で、より広範な概念を包括したものと言えるでしょう。

 

 さて、マニュアルメディシンという言葉自体が英語であることからわかるように、実際にそのもととなっているのはアメリカやヨーロッパにおける手技療法です。 ドイツや北欧にも昔からの手技療法がありましたし、アメリカでは国としての歴史は浅いものの 19 世紀に オステオパシーとカイロプラクティックという二大治療体系が生まれました。イギリスでは、アメリカから早い時期にオステオパシーが輸入され、発展を遂げましたし、サイリアッ クスというお医者さんは、独特の手技治療を行ったことで有名です。この人は、理学療法士というプロフェッションを確立した立役者でもあります。また、同じ英語圏であるオーストラリア、ニュージーランドでも、理学療法士が中心となってマニュアルメディシンを発展させました。なかでもオーストラリアのメイトランド、ニュージーランドのマッケンジーの二人は有名です。

 

 ひるがえって、日本ではどうだったのでしょうか。江戸時代までの医学は今でいう東洋医学になりますが、そのなかには導引・按矯という手技治療法も含まれていました。しかしながら、明治以降の西洋化の流れの中でその存在は忘れられていったようです。一部はあんま・指圧といったかたちで現代にも残っていますが、経絡に代表されるような独特の東洋医学思想から離れることができなかったために、西洋医学を中心とする近代医学の世界からは無視される存在となってしまいました。その後、大正時代になって、アメリカでオステオパシーを学んだ人が帰国し、正体術と名のって開業しました。これが現在まで続くいわゆる「整体」の始まりですが、徒弟制度や流派といった、日本的で非合罪的な仕組みの中で集合離散を繰り返し、科学的な検討も行われなかったこと、一部昔ながらの東洋医学思想と結びついて、ますます現代医学の考え方からはなれていったことのために、正しく評価されることはありませんでした。このことが現在に至るまで、日本において手技療法が低く評価されてきた遠因となっています。

 

現代のマニュアルメディシン

 

 日本国内で、マニュアルメディシンと聞いてすぐにイメージの浮かぶ人はあまりいないはずです。「手技療法」という言葉からは、民間の治療、すなわちあんま、指圧やマッサージ、あるいはカイロプラクティックや整体が想像されると思います。正当な治療法というよりオルタナティブなもの、むしろ慰安に近いものといったイメージを持たれる方も少なくないでしょう。

 

 医療の現場で、手を使って治療することにもっとも近い立場にあるのは、理学療法・リハビリテーションの世界です。しかしながら、標準的なテキストで、マニュアルメディシンに触れたものはまずありませんし、私自身の経験からいっても、現在の医療システムのなかでは、ほとんどこれに触れられることはありません。しかし、最近ではAKA の研究会ができたり、手技療法の テキストが翻訳出版されるなど少しづつですがかわってきているようです。

 

 アメリカやヨーロッパでは、状況は異なり、国によって制度や名前は違っても、手技治療という分野は広く認知されていて、正式な医療システムのなかにも組み入れられています。アメリカではカイロプラクティックやオステオパシーも公的な資格であり、かつてはいろいろな葛藤があったものの、医学の世界でも有効な治療体系であると認められています。イギリスではオステオパシーが、オーストラリアやニュージーランドでは理学療法士が中心となって手技療法が行われています。 ドイツでは医師や理学療法士向けの手技療法の研修コースがありますし、北欧ではマニュアルセラピーの名前で、一般の医療の現場で手技治療が広く用いられています。また、手技療法を行う理学療法士たちの国際団体があり、マニュアルラセラピーを扱う専門雑誌も出版されており、入手可能です。

 

 現在、医学の 世界では EBM (エビデンス・ベイスド・メディシン)の考え方が主流になりつつあります。新しい治療法だけでなく、従来から経験的に行われていた治療法も含めて、科学的に再検討を行って有効性を厳密に判定するという考え方です。経験的に正しいと思われていた治療法も、もう一回洗いなおしてみると有効性に疑問があったり、その反対に昔ながらの治療法があらためて再評価されることもあります。マニュアルメディシンは、現時点ではけっして完成されたものではありませんが、その診断・治療体系は解剖学・生理学・病理学的な根拠があり科学的評価に耐えうるものであると思いますし、筋骨格系の障害、とくに機能的障害に対してはもっとも的確な診断・治療の方法てす。医療の現場では、ますます効率性、正確性が求められていますが、マニュアルメディシンは今後も必ず必要とされ、発展していくと思います。