バワマンとオレゴンの男達

 1960〜70年代にアメリカ陸上界を席巻したオレゴン大学陸上チームを率い、アメリカから世界に広がったジョギング・ブームを作った伝説のコーチ、ビル・バワマンの一代記です。

 

 在任中に獲得した全米個人タイトル24、チーム総合優勝4回、33人のオリンピック選手を生み出しました。

 

 また1962年にニュージーランド視察に行った折、もう一人の伝説のコーチ、アーサー・リディアードと知り合います。市民ランナーを指導する姿に啓発されたバワマンは、帰国後「ジョガーズ・マニュアル」を出版しますが、これが爆発的に売れ、アメリカの公園や道路にジョガーがあふれかえるようになりました。そして世界中に広がって、今のランニング・ジョギングブームにつながっていくのです。

 

 オレゴン大学で指導した選手の一人に、フィル・ナイトという学生がいました。フィルはブルー・リボン・スポーツ社というシューズ販売会社を創立しますが、バワマンの革新的なアイデア・ワッフルソールを取り入れ(バワマンは共同創立者に就任)、日本のオニツカ・タイガー(のちのアシックス)の販売代理業だった同社が飛躍的に発展するきっかけを作りました。社名が変更され、ナイキは世界的な大企業となっていきます。

 

 ワッフルソールとは、選手の足の故障予防を考えてバワマンが考え出したソールです。硬い路面でランニングを続けると、足に繰り返し衝撃がかかり、骨、筋や靭帯の故障が起きることがあります。着地時の足にかかる衝撃を和らげると同時にランニングのパフォーマンズを落とさない軽量かつ機能的なシューズを作れないか?多くの試行錯誤を繰り返した後、自宅にあったワッフル焼き機を型にして独特の形をしたゴム底を作り上げました。これを洗練させたのがワッフル・ソールで、これがなかったら体重の重い人が多いアメリカ人が街中を走り回るジョギングブームは起きなかったかもしれません。

 

 しかし、このことがバワマン個人には悲劇をもたらします。自宅の地下室でゴムを溶かし、焼き上げる実験を繰り返したことが原因で呼吸器を痛めてしまいました。88歳まで長生きしますが、晩年は病気がちであったようです。