おおやま詣で

 

大山…神奈川県にある1252メートルの山。江戸時代、関東一円の参拝客を集め、いまもハイキングで人気。とうふ料理が有名。伊勢原からバスで行けます。

 

松庵先生、出立の図

 

 

  武州ねりまの松庵先生は、西洋伝来の乱忍具(らんにんぐ)なるはや歩きにかぶれ、朝な夕なに村ぢゅうを走りまわっておった。「乱忍具は心身の妙薬なり、これを行えば千里を駆くるも夢にあらず」と説くもむらびとには一笑に付され、悪童どもにぼうで追い回される始末。遠出をすれば、はなをたらしよろばうよう家路に着くも、人は鼻をしかめ、家に帰ればにょうぼうこどもに「あせくさい、あせくさい」としかられておった。

 

 ある春の一日、環状はちごうせんなる道を通りざま、なにげに遠く目をやれば、かなたにかすむ山が見えたり。ちずをしらべ、「あれが世に聞こゆるおおやまなりや」とひとりおどろき、こは神仙の配慮なり、いにしえのおおやま道をたどり、一両日でねりま、大山を往復せむ。しからば村人ども心底より納得し、乱忍具の霊験あらたかなるを知らん。いざ行かむとて、あきれるにょうぼうにむすびをこしらへさせ、わらじきゃはんの用意おこたりなく、意気やうやう出立せり。

 

じんだいじ道なり

 かって知ったるふじ街道をすすみ、たなしよりじんだいじ道を行き、せんかわ上水をこへ、ちゅうおうせんむさしさかい駅をすぎたり。ここより南に向かえばたまがわ、いまは渡しぶねなく、大橋をわたり稲城むらへたどりつきたり。かわをこえればひと安心、勢分入分なる茶店でだんごを食べ、たまきゅうりょうにゅうたうんの丘をえっちらおちら、ひいはあと上り下りまちだの里に着きたり。

 

 古道も今は跡形なく、ねりまにくらべ見晴らしも利かず、ここかしこにて迷ひけるも小野路、図師をすぎ、あしをぼうにしてよこはません淵野辺駅へたどり着きたり。

淵野辺駅なり

 「この地はどうていのなかばにて、すでに三十五きろ走りたり。アアつかれし」と松庵先生のたまい、はじめのいきごみもどこへやら、ふたたび茶店にて我利我利君なる氷菓を買い求め、うましうましと賞味せり。あっさり「きょうはこれまで」と電車を使い、ねりまにもどりたり。

 

 翌日、むらびとの目にふれぬよう早朝、ねりまを出立せり。でんしゃにて淵野辺にまいもどり、これよりさがみ川をこえ、厚木にむかひ、いよいよ二百四十六ごうせんじゃ。いせはらにいたらば、おおやまは目とはなの先、もうのぼったも同然、山頂を踏まずば二度とねりまに戻ることあたはずとて、一心に念ずるも、ひざはがくがく、このさきの道のりがおもいやられると暗澹たるこころもちであった。

 

大山を遠望せり

 みなみへみなみへ、つぎはにしににしに。さがみの野はひろく大きく、先生、ねむけをふきはらいつつただ前へ進みたり。見上げればおおやまはいよいよ近く、「おもえばとおくへきたもんだー」とはなうたを歌いたり。

丸山城址なり

 愛甲石田をすぎれば、めじるしの丸山城趾はいと近し。扇ガヤツ上杉氏の本拠なるいいつたへあるも、いまは公園なり。しかれども遠望すれば土塁ほりわりの面影ありて、かつてのふぜいをしのびつつ、これよりおおやま古道に入りたり。清流のながれたる用水に沿いゆるやかに道をのぼり、いつしか緑深き山中にたっせり。

 

 みちはさらにのぼり、さすがの先生走ることかなわず、ぼちぼちと歩けば、行き過ぐるばすくるまの流れ絶えることなし。旧参道のみやげもの屋を見物しつつろうぷううぇい駅に到着せり。

 

「当地の標高二百めとる有余、山頂へはこれより千めとるなり。すでに本日三十一きろ走りたり。いざろうぷううぇいに乗らん」とて一息つくも、山上駅からさらに八百めとるの登りと聞き及び、がくぜんとする松庵先生であった。

 

 やまはどこもおなじ、ひたすらのぼればいつかは頂上ならんとて、ぜえぜえ息もあらく、膝に手をつき、山頂に着けば、茶店もあり老若男女あふれ、たいそうにぎやかなり。

 

   時節は黄金週間、天気は快晴、むりなからんとてそうそうに下山を試みるも、あまりの人出に道中の渋滞甚だしく、いと時間かかりけり。隙をつきふもとまで駆け下り、途中店にて土産と麦酒を買い求め、ばすに乗りたり。麦酒の効能おどろくべし、電車内でみるみる生気をとりもどし、意気揚々と帰路につく先生であった。

 

つかれました(^^♪

 庵にもどり思いおこしてみるに「ごく早朝の出立ならば、一日にてねりまよりおおやま山頂に行くことも可能ならん。ただし、身もこころもつかれはなはだしく、旅のたのしみ、よろこびはいかばかりか計りかねるというもの。まして一両日での往復となれば、道程百三十二きろ、山中十きろとなり、世に言う字留寅摩羅損(うるとらまらそん)のたぐい、その道の達人を持ってしても完遂には相当なる意思、体力を要するものと覚ゆるなり」とのたまえり。

 

「わしもまだまだ若造、大山往復はのがしたが、これより精進すればいつの日か字留寅摩羅損の達人となるのも夢とはいえまい。それにしてもほらは吹いてみるものじゃ。足腰をきたえればいろんなことができることをしめせたからのう」とこりない松庵先生であった。

 

麦酒なるもの、いとうまし。これぞ神仙の妙薬なり。