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患者の診たて なぜまちがえるのか?

 

  毎日、病院や治療院にはたくさんの患者さんが訪れます。やってきた患者さんひとりひとりを診るごとに、完ぺきな診断をずばっとして、ずばっと適切なアドバイスや治療を施せるとしたらどんなにすばらしいことでしょう。私たちの仕事にまつわるストレスの大半は、診断できない悩み、正しく治療できない悩みからなっています。これがなくなったら、毎日の仕事がきっと楽しくてしかたがないでしょう。

 

 実際には、そうはうまくいきません。骨折やうちみのような、目で見て異常がわかる故障を診ることは、むしろ例外です。目に見えない症状、つまり痛み、しびれ、こり、重だるさのように、患者さん自身はわかるが、人に説明しづらい症状、聞いた側でも想像はできるもののほんとうにはわからない症状というのがあり、むしろこちらのほうが耳にすることが多いはずです。

 

 私たちがどんなに精進して、勉強を怠らず、心をこめて患者さんを診察していても、患者さんが実際に経験している痛みやしびれを身を持って感じることはできません。感じることができないために、それにかわる情報-局所の炎症兆候やレントゲンなどの画像検査など-をみつけて、主訴を説明できる証拠となるかどうかを検討します。いうなれば、私たちが見つけられるのはすべて状況証拠であって、文字通りの痛み・しびれを見つけるという直接的な証拠-たとえるなら現行犯逮捕-は原理的に不可能なのです。

 

 痛み・しびれという症状を診るかぎりは、このことは宿命的なものであり、これから先、どのように医学が進歩しようとも変わることはないでしょう。

 

 どうして直接的証拠を見つけられないのか、不整脈が心電図でわかったり、内臓腫瘍がMRIで見つかったりするのと同じことがどうしてできないのかを考えると、痛みやしびれのような症状を実際に感じているのは、症状のある部位そのものではなくて、脳であるということに行きつきます。からだの故障を脳が認識し、評価するために、痛みやしびれといった感覚があるのです。たとえていえば、現場では地震でビルが崩れたり死傷者がでているときに、テレビカメラを使って遠隔地から見ているのと同じです。脳自体も直接現場を見ているわけではないので、ときには評価を見誤ることもありうるのです。

 

 だから、臨床の現場ではいろいろなことがおこります。指先の小さな切りきずで、たいしたことはないと思ってみていると、患者さんの顔色が悪くなり、立ちくらみで倒れてしまうことがあります。反対に、だれがどう見ても大けがといっていいくらいの骨折なのに、痛みはないから早く仕事にもどりたいと希望する患者さんもいます。同じものを見たり食べたりしても、感じ方が人それぞれで異なるように、からだの故障に対する感じ方も人それぞれであり、すなわち痛みの感じ方も個人ごとに大きく異なるのです。

 

 ひとりの人間の中でも、そのときの状況や精神状態で、痛み・しびれの感じ方は変わってきます。不安が強いときには、痛みも強く感じる傾向があります。火事場の馬鹿力のたとえのように、けがをしていても、危急の際には痛みを忘れて動いてしまうこともありえます。たいしたことはないと思って医者にかかってみたら、じつはちゃんとしたけがだったと説明されたとたんに痛みが強くなったように感じることもあります。注射を怖がっている人に、どうしても必要な注射をしようとすると、針をまだ刺さないうちに「痛い!」と悲鳴をあげられることがありますが、最近の脳科学の研究では、こういうときに実際に脳が痛がっているのがわかったそうです(PETで調べると、実際に痛み刺激を受けたのと同じ反応が脳にみつかった)。

 

 今でも思い出すのですが、中学生のころ、あまりにも部活がきつかったので、サボろうとしたときのことです。足がちょっと痛かったので、それを理由にしたのですが、さぼってみるとほんとうに足が痛くなってしまいました。この場合、痛みがあったほうが自分にとって都合が良かったので、アタマのほうで痛みを強く感じ始めたのかもしれません。同じことが、交通事故による外傷後の痛みや、慢性的な腰痛のケア中に、患者さん自身は自覚しないままにおきることも考えられます。

 

 精神科領域でいう、「身体化」もむずかしい問題です。悪性の病気がないことを説明することはできるかもしれませんが、なぜ痛いのか説明を求められたときに、あなたの頭の中に原因があると本人に説明できるでしょうか。患者さん自身はうそいつわりなく痛みやしびれを感じているのに、それは幻想であって本当はどこにも痛いところはないと説明するのでしょうか。

 

 評価と説明は一体です。診察した結果を患者さんに説明して納得してもらうところまでがワンセットですから、都合が悪いときには説明しないというのはルール違反ですし、患者さんのモチベーション、コンプライアンス(治療に対する患者側の受け入れ方)にもいい影響はありません。

 

 このように考えていくと、とにかく痛みやしびれの診察が難しい、ということがわかってもらえたはずです。

 

 それでも、私たちはできるだけ正確な評価(診断)をしなければなりません。完ぺきさとはほど遠いとわかっていても、可能なかぎりに精度の高い診察をして、効果的な治療に結びつけなければならないのです。はあ、しんどいなあ、とわたしも思いますが、めげずにすこしでも正しい評価ができるように、いくつか役立つヒントを挙げてみます。

 

1 本に書かれたことがすべてと思わない

 

 たとえば、腰痛の原因になる診断名をあげてみましょう。椎間板ヘルニア、変形性脊椎症、筋筋膜性腰痛症、腰椎分離(すべり)症、椎間関節障害、腰部脊柱管狭さく症、骨粗しょう症(圧迫骨折)、脊椎(脊髄)腫瘍、化膿性脊椎炎などの感染症、ほかには?たんに「腰痛症」と診断することもありますが、これは診断のようで診断ではない、ただの症状名です。内臓や血管からの関連痛もありますね。リウマチ性多発筋痛症や皮膚筋炎などの膠原病、多発性硬化症や脊髄梗塞など脊髄にかかわるあらゆる病気、パーキンソン病などの姿勢異常やうつ病で痛くなる人がいますし、心気症やヒステリーをあげる人もいるかもしれません。では、それ以外は?

 

 たくさんあるようでも、本にすべての原因が網羅されているのではないことを忘れないようにしましょう。よくみられるものや珍しくても重要なものについては書かれていても、あらゆる原因を書くことは誰にもできません。

 

 なぜなら、人のからだにおきる故障は、一人ひとりちがっていて、同じ診断名でもまったく同じ故障の人はいませんし、本には書かれていない(まだはっきりとわかっていない)故障の理由もありうるからです。

 

2 系統立てて診る

 

 だから、ひととびに病名に飛びつこうとするのではなく、順を追ってからだを調べていくことがたいせつです。「腰」と呼ばれる場所には、皮膚からはじまって、皮下組織、筋膜、脊椎後方の筋肉、関節(間接包)、各種じん帯、硬膜外の脂肪・血管・神経、硬膜、脊髄および周囲の血管、椎間板、腸腰筋、大血管、後腹膜およびその下にある脂肪や血管、尿管などがあります。卵巣などの骨盤臓器、胃腸系やすい臓などの腹部臓器も忘れてはいけません。

 

 問診と診察を組み合わせることで、かなりのところまでしぼりこむことができます。まず病名ありきでなく、痛みをおこしている部位としてはどこが疑わしいのか考えていきます。お医者さんなら、ここで的をしぼった検査をおこないます。接骨院や治療院の場合は、自分の治療できる範囲かどうかをこの時点で熟考します。

 

 ここをきちんとしておくと、心配な病気を見落とす可能性が低くなります。はっきりした診断はできなくても、後から病名がはっきりした時点で見返してみても、このときのインプレッションはおどろくほど正確です。

 

 問診と診察がカギ。決めつけずに広く診る。どんな検査にも勝る方法です。

 

3 見たいものはよく見えるが、見たくないものは見えにくい

 

 ある診断名が頭に浮かんだとき、それが慣れ親しんだものであればあるほど、無意識にその診断名に当てはめたい、そうすれば診断も治療も道筋がわかっているので安心できるといった心理が働きます。

 

 そこに陥りやすいわなが潜んでいます。今診ている症例が、今まで経験した症例と似ているが、いくつか異なる点がある場合、異なる点を無視しがちになる、無視しないまでも大きなちがいではないと考えがちになるのです。

 

 つまり、雑然としたところにあるパターンが見えてくると、そのパターンに当てはまらないところが見えなくなってしまう傾向が私たちにはあります。よく似た症状からはじまって、まったく異なる経過・予後をとるふたつの病気があり、一つはよくあるもので、もう一つはめったにないというときに、判断の過ちを招くもとになります。患者さんの症状をみて、自分の心の中にあるパターンを思い描いたとき、それにあてはまることに気を取られるあまり、あてはまらないことを気に留めない、あるいは無視してしまうことは多いものです。

 

4 経験はだいじだが、すべてではない

 

 どのように豊富な臨床経験をつんだとしても、すべてのことに精通することはできません。人は、自分の経験をもとにしてことがらを判断しがちです。ふだんの生活をしていく上では、この傾向はプラスにこそなれ、マイナスではありません。身の回りのことは、ほとんどいつもどおりに、あたりまえにおきてくるので、あらかじめおきるできごとを予測して準備する上で、経験を生かすことはたいせつです。

 

 しかしながら、めったにないことでも、おきるときにはおきます。あることがらがおきるかおきないかは確率の問題であって、あなたが過去に経験しないことが今後おきることもありえます。だから、経験を離れて、論理的・科学的に問題を分析することがたいせつです。常識からはなれること。これが、実際にはなかなかむずかしいことで、私たちが陥りやすい過ちの理由の一つです。

 

5 わからないことはわからない

 

 一般の人が思う以上に、医学の世界はわからないことだらけです。この世界の専門家であれば、わかっていることのほうがむしろ少なくて、わからないことのほうがはるかに多いことを認めない人はいないでしょう。あなたが、患者さんを診たときに、どんなときでも必ずみたてができる、状態を理解できるということはありません。わからないことがあってあたりまえです。

 

 だから、わかるふりをしない。できるだけわかる努力は続けましょう。でも、わからないときはわからない、これを認めることも必要です。わからないものをわからないと自覚してこそ、ほんとうの工夫・研究が生まれるのです。