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ことばはむずかしい

 

 

 先日朝ドラで短歌づくりに悩むシーンを見て、もともと詩や短歌が苦手な私は(31文字ぼっちなんだからぱっと作れないのかな?)と一瞬思いました。でも、短歌作者の方はきっと血を吐く思いで作っていると想像しています。こんな私ですが、それでも仕事の中で言葉づかいに悩むことがあります。今回のお話です。

 

1 ことばの意味

 

 国や文化が異なると同じ意味のことばでも、実際に与える印象が大きく異なることがあります。典型的なのは「水」です。身の回りに水が豊富にある土地に住む私たちは「さっと湯がいたり」「湯でこぼしたり」「水にさらしたり」をふつうに話していますが、水が大変貴重な砂漠地帯に暮らしている人たちにこれらの表現の雰囲気を実感してもらうのはきっと至難の業でしょう。

 

「古池や かわず飛び込む 水の音」という有名な俳句を鑑賞するとき、(かえるが池に飛び込んだ)という解説ではまったく不十分なのは皆さんおわかりと思います。濡れた苔に囲まれた小さな池、おそらくアマガエルが水草の上から水に飛び込み、ぼちゃんと音がして、そのあとに静けさがただよう・・・こういったことを瞬間的に理解できるのは作者と同じ環境や暮らしを経験している私たちだからできることです。

 

 では同じ町で、同じ空気を吸っていればことばのイメージを100パーセント伝えられるのか?自分が言いたいことをなかなかわかってもらえないという経験は誰にでもあるはずです。医療の世界も同じ、こちらが伝えたいということが伝わらないという経験は医師の側にも、患者の側にもあります。それも、けっこう頻繁にある気がしています。

 

2 たとえ話は役に立つのか

 

「千里の道も一歩から」と聞けば(あーそうそう、どんなにすごいことでもはじめは小さな努力からはじまるんだよね)とわかるのはなぜかというと、学校の先生や親に教わったからです。聞いたまんま、千里の道を歩くときに一歩目からはじまる?あたりまえじゃん!と考えてもおかしくないのに、道という言葉から人生とか学業とか別のイメージに置き換えて考えることを抽象化といいます。具体的な出来事をもっと広いことにまで通用する概念に置き換えること。「たとえ話」がやっているのはこれです。

 

 どんな分野でもむずかしいことをわかりやすく伝えたいとき、たとえ話はとても役に立ちます。でもなかなかわかってもらえないときもあります。ひとつはたとえ話の出来が悪くイメージが伝わらないとき。もうひとつは抽象化に慣れていない人と話すとき。抽象化は脳トレのひとつなので、得意な人も不得意な人もいます。たとえ話がうまくいって、(あ!わかった!)という顔を見るととてもうれしいです。うまくいかないときはちょっとがっかり、プランを練り直し別のたとえ話を試します。たとえでどれだけイメージを広げられるか。勝負のしどころです。

 

3 身動きを口で教えることはできる?

 

 スポーツや習い事をはじめるとき、初心者は上手な人の動きをまねようとしますが、なかなかうまくいきません。うまくいかない理由はまだ体ができていなかったり、動きの中でどこが勘所かがわかっていなかったりさまざまです。そして練習の後、いろいろ指導されてもよくわからないってことありますよね。

 

 あとから教わるのでなく、動いている瞬間にずばっと指導する方法を研究している人がいます。ゴルフの「チャー・シユー・メン」長嶋さんの「スウーっと来た球をガーンと打つ」に近いのですが、その人の動きをコンピューターなどで解析して一歩先を読んで指導するという研究で、ちょっとづつ成果が出ているようです。

 

 私の仕事では、腰痛の患者さんなどで姿勢やからだの動き方を指導するのですが、自分ではわかりやすいと思っている感覚を言葉で伝えるのにとても苦労することがあります。腰という言葉一つをとっても、人によってイメージが全然違います。だから指導はオーダーメードが必要、まだまだ改良が足りないと感じています。

 

4 プラセボとことば

 

 プラセボとは、「ほんとうは効果がないはずなのに(心理的な影響で)実際に効果が出てくること」を指します。新薬・治療法の開発現場ではあまりいい意味で使われていない言葉ですが、あらためて考えてみるとこれってすごいことだと思いませんか。患者さんの気の持ちよう(あるいは持たせ方)が実際の効果に無視できない影響を及ぼすのですから。

 

 うん十年医者の仕事をして感じるのは、同じことを話していても言葉の受け止め方は人によって全然違うことです。こちらがいい意味で使った言葉を悪い意味で受け取られてしまうことがあれば、その逆もあります。医療のことばは耳慣れないものばかりですから、医者が気軽に使っている言葉でも患者さんが聞けば不吉な響きがすることもあり得ます。

 

 でも長いこと診ていて思うのは「たいていのことはなんとかなる」ということ。なんとかならないように見えるのは、短期的に物事を見すぎていたり、必要以上に恐れていたりいろいろなので、その辺の心のコリをほぐしていけたらと考えています。ちょっとした見方の修正が、良い方向につながることを期待して。