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てくびの痛みを考える

 (アーカイブ;2006年7月号より)

 

 わたしは左利きです。両親からは、むりに右利きにかえるよう指導されたことはなかったので、特別左利きを意識したことはなかったのですが、患者さんから、「左利きなんて、先生器用なんですね。」とか「うちの孫も左利きなんです。」などと言われると、(左利きって、そんなに珍しいの?)と思います。ふつうに暮らしているのに、なんだか特別扱いされるのは、こそばゆいような、でもあんまり気持ちのいいものでもない、そんな感じです。

 

 さて、左利きであるということは特別なことではありませんが、ふだんの生活では不便なこともあります。みなさんがあたりまえと思っていることが、左利きの人にはふべん、ということがけっこうあります。たとえば、駅のキップ売り場や改札口。わたしがなにげなくコインやキップを持つときは左手を使います。でも、入れるところは右側にあります。そのままだとからだをねじって入れるしかないので、右手に持ちかえたり、あらかじめ意識的に右手で持つようにします。

 

 でも自然にキップを持ったり、あわてているときはどうしても左手で持ってしまう。だから、ちょっとだけてまどってしまう。そういう不便さは、左利きの人みんなが感じていることでしょう。

 

 困るのは、字を書くときです。とくに日本語はしまつが悪い。アルファベットのほうがよっぽど楽なので、どうしても英語で書いてしまう。かっこつけているのではなくて、日本語って、ホントに左利きの人には書きづらいのです。習字の授業なんて最悪です(そのぶん、英語の授業が好きになるという副産物はあるかもしれません)。

 

 こんなことを長々と書いたのは、てくびの痛みに関係があるからです。左利きの人は、日本語を書くときはどうしてもむりをしてしまう。だから日本語の文章をたくさん書くと、とても疲れてしまうのです。するとどうなるか。うでやてくびが痛くなってきます。

 

 みなさんは、ゆびを動かす筋肉がどこにあるか知っていますか?指を動かす筋肉は手のひらにあると思っていませんか。じつは、二の腕(前腕)にあるのです。これを確認するのはとてもカンタンです。握りこぶしを作ってみると、二の腕の筋肉がかたくなるのがわかります。指を動かす筋肉の大部分は前腕にあって、てくびから先はひものような腱で指とつながっています。だから、指を動かしたときのつかれは前腕にたまってきます。

 

 左利きの人が字を書くと、右利きの人に比べるとつかれがたまりやすいのです。つかれがたまりすぎると、筋肉が炎症をおこして腫れることがあります。このとき腫れた筋肉のある場所だけでなく、筋肉のつながっているところ(てくびやゆび)にも痛みを感じるので、実際の症状は、「てくびが痛い」とか「ゆびが痛い」となるわけです。

 

 あるとき、てくびが痛み出して、字を書きずらくなってしまったのには困りました。はじめはボールペンがいけないのではないかと考えて、いろんなかたちのペンに変えたり、万年筆を使ってみたりしましたが、なかなか良くなりません。カルテをうまく書けないので、気分も落ち込んでしまいました。

 

 ほねや関節の故障でないことはわかったので、筋肉のストレッチをしてみることにしました。同じ治療を受けた人ならわかる、ケッコウ痛いあの方法です。ストレッチは痛いけれど、症状は良くなりました。今でも油断すると軽い痛みが出てくるので、ときどきストレッチを続けています。

 

 

 

 わかってみれば、たいしたことではない、そんなに診断も難しいことではないのですが、てくびが痛いという患者さんに、「痛みの原因はここの筋肉ですよ」とお話しすると、びっくりするか、(はあ?)という顔をされます。そのあと、治療を受けてはじめてなっとくしてくれるようです。

 

 いまの時代は、パソコンを使って仕事をしている人が多い。体はあまり動かさないで、手から先だけは猛然と動かしているといった仕事のしかたがとても増えています。あるときから手首の痛みを感じるようになるが、たいしたことはないので、そのまま様子を見ます。そのうちだんだん痛みが強くなって、仕事に支障をきたすようになります。そうなって、はじめて病院にかけこんで来る人が多い。そんな人は、前腕の筋肉がコチコチにこり固まっていて、のばそうとすると痛がります。くりかえしストレッチを行うことでだんだんと良くなってきます。

 

 もうひとつ、よくある相談は若いお母さんの場合です。それも赤ちゃんが3ヶ月~6ヶ月くらいのころがあぶないようです。はじめての赤ちゃんだから、お母さんも必死です。くびがすわってないうちは頭がぐらぐらしないように、手のひらでしっかりと赤ちゃんを支えようとします。当然、腕の筋肉がとても疲れます。ところが赤ちゃんはどんどん大きく、重くなります。小さいころと同じ感覚で赤ちゃんを支えようとすると、筋肉や腱にかなりのムリがかかります。そして筋肉や腱の炎症をおこしてしまう。

 

 こういう人を診たら、まずやるのは、赤ちゃんの抱っこの指導です。手のひらでなくて、二の腕で赤ちゃんを支えるようにすること。こうすれば、痛みはだんだんとれてきます。おもしろいのは、二人目の赤ちゃん以降はこの相談が激減することです。お母さんもベテランになると、こつがわかってくるのでしょう。

 

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